狂乱と冷徹の軍事カリスマ

狂乱と冷徹の軍事カリスマ

歴読誌の第14回 です。早いもので、もう本国寺合戦です。
義昭の仮御所が、三好三人衆に攻められた急報は六日岐阜に届けられた。
折りからの大雪の中、一騎掛けで、岐阜城を飛び出した。
さて、ここで注目したいのが、桐野様も取り上げた、荷駄を運ぶ馬借たちが競い争った為、信長は下馬して荷物を改め、同じ重さである事を確認してから出発したと言うエピソード。
これを初めて聞いた時は、信長らしいと言うか、公平に見る上司だと思った。
しかし、現場に社長が口を挟むと言う事件を起こした、この荷駄人は、その後、直属の上司に、叱責を受けなかったのかと言う、どうでも良い事が頭をよぎる。
結果的には、自分の訴えは、思い過ごしだった分けであるし。そして、雪の中、気まずく道中を一緒に歩んだと思うと、、、
もう一つは、雪。
現在でもそうですけど、京都市内は降ってなかっても、逢坂越えを越えると別世界になります。
それほど、隣合っても京都と滋賀は気候が違う。
そして、滋賀であっても、安土辺りで南北変わるようである。
それを、岐阜から何回か、往復している内に選定したのでしょう。

この後、信長は本国寺に入った際、歌を唄ったとの説があります。
「織田の上総は、果報ものや、一番鑓をつくほどに、しかも上意の御前にて」(戴恩記)
信長が着いた時は、もう三好勢がいなかった様なので、この歌も作り話かも知れない。

最後に、二条第での建築作業中の、あの事件。
貴婦人の被り物を上げ、顔を見ようとしたものを、信長は自ら首を刎ねた。
桐野論では、確かに不届きだったかも知れないが、首を刎ねるほどのことなのかという気がする。
と論じられている。確かに、こんな事で、首を切られた者に同情するが、目に入る所に信長(現場監督)がいると言う事も分からないほど、桐野様が述べられてるように粗末な格好をしていた証でしょうか。
そして、思わぬ事に、この地下鉄工事の際、堀跡から首の辺りに刀で切られた頭蓋骨が発掘されました。俄然、フロイスの記述が真実味を帯びてきたようです。
現在、京都考古博物館で保管されています。展示されてるのを、見た事もありますが、展示すると、観覧者が、その前にお金を置いていかれるそうで、展示は控えられてるようです。
  
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No title

こんばんは。

拙稿を取り上げていただき、感謝です。
もっとも、まだ本国寺合戦でして、これから先が思いやられます。
編集部との約束では2年連載ですが、どうも長篠合戦までいくのがせいぜいかなと恐れているところです。まだ元亀争乱もありますしね。

「織田の上総は、果報ものや、一番鑓をつくほどに、しかも上意の御前にて」(戴恩記)

これは初めて知りました。ひとつ勉強になりました。
でも、フィクションではないでしょうか。
この時点での信長の官途は弾正忠ですし、せめて尾張守でなければいけないはずで。
もし本人の歌なら、自分の通称を間違えるものですかね? 上総のほうが語呂はいいのかもしれませんが。

No title

桐野様
ブログで、取り上げられてないので(笑、記事にしてみました。
お忙しいでしょうが、この連載を楽しみにしてる方が、私の他にもいらっしゃると思いますので、次回も期待しています。
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