本多平八郎に殉死した信長の弟

本多平八郎に殉死した信長の弟

織田(中根)信照の生涯と周辺の人脈について
城 150号記念号 東海古城研究会
信長弟で謎の人物である、信照の論考。
信照について、前にも書いた事があるが、桑名市浄土寺に葬ると言う中根文書を紹介したが、この論考で、その墓碑が現存している事が分かった。
場所は、三重県桑名市清水町の浄土寺。
本多忠勝の墓塔の前に鎮座する。
信照こと、中根忠実は、関が原の軍功により桑名十五万石に封ぜられた本多忠勝の家老となり、和泉守、平右衛門と称した。
本多忠勝は慶長十五年十月十八日に亡くなり、意外でしたが忠実は殉死した。

墓石に、観月院殿覚窓浄安と読め、右側に文化六年に子孫八世孫中根平右衛門忠素が建立した石碑が並立する。
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~ Comment ~

No title

信照といえば、大橋定永ですよね。
信長の異母兄弟で、母親は、中根七郎左衛門康政の女ですか。
興味深い情報をありがとうございました。それで、享年などは書かれていたのでしょうか?


No title

小嶋殿
享年は65歳です。
中根も大橋の資料も、ほったからしにしてましたら、記憶が薄れてきてます。岩城殿も、もう少し調べたいのですが、、

No title

K2様
 没年が慶長十五年で、享年65歳ですか。川口久助と誕生年が同じですね。もう少し年長かと思っていましたが、思いのほか若かったですね。それで、十月十八日以降の殉死として、殉死の日付も判るのでしょうか?

十月十八日

小嶋殿
殉死日は、同日です。
書き忘れと言うか、分かりにくい表現で、申し訳ないです。
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