津島天王へ国主への対応

津島天王へ国主への対応

佐屋町史 史料編二
弘治四年(二月二永禄と改元)
依清須公命、延式日渡十六日、十七日。今茲上総介殿於大橋上覧祭、簾中方於橋守館構桟敷

信長が夫人を連れて祭りを見たと言うのは、本年の祭りでも大きく放送されてました。
しかし、よく見てみると、信長と夫人は別々に祭りを見たことになる。
この年、信雄と信孝の誕生年で、一説に信孝は四月生まれなので、生駒氏(吉乃)、坂氏は無理があり、やはり濃姫しか、考えられないでしょう。」

信長が何故、橋の上から見たのか不思議でしたが、信長気分を味合う為、橋上推定の、北側からはじめ、祭りを見ましたが、桟敷席が羨ましく、、、(笑


現代と比べるのもどうかと思いますが、桟敷で見た、夫人、つまり濃姫が主賓だったんでしょうか?
系図では、怪しいですが、正徳寺での会見で道三の側に侍る、堀田道空は、この津島の堀田と関係あるとか、ないとか。道三亡き後、津島のあるものが、濃姫を招いたのではと考えてみました。
いささか、小説のようですが(笑
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~ Comment ~

No title

濃姫の名前を見ると反応してしまいます。
濃姫が主賓だと断定してください。濃姫は桟敷で見てても
信長はじっとしてられなくて橋の上で見てたのでは?子供の頃を
思い出して。(きっと子供の頃も行ってたと思います)

小説のような妄想好きです。私なんか、堀田道空は武士と商人の
二足のわらじを履いていたって思ってます。津島にも屋敷を持っていて
木曾川を下って美濃に居たころの濃姫も遊びに来ていた。そこで
信長とも出会っていた・・・・なんて、そこまでは思いませんが。

No title

都の風様
やや、濃姫よりの記事になりましたが、、、、
男女一緒に見物できる時代でも無かったか?とか、考えましたが。不勉強で、裏付けがとれないんですが。資料が少ないので、色々憶測する事ができますね。
その後、尾張を領有した信雄、秀次、福島正則、は夫人は同伴してません。慶長十一年にやっと松平忠吉が見物した年に、簾中方が、櫓船から見物してます。
濃姫がやってきたのは、特筆すべきものだったんでしょうね。
信長の幼少時は、謎ですね。寺伝や、地誌でも、津島にきた記録はありません。天王坊を、津島神社の牛頭天王社と混同している方を、今でも見受けられますが、天王坊は、那古屋城下にあります。
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