泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
秀吉関白任官と所司代の成立
日本史研究 1997年7月 伊藤真昭著
著者伊藤真昭氏は、上記論文で正法山妙心禅寺米銭納下帳を引用し、
天正十一年五月妙心寺は黙首座と枡首座の両人を安土へ遣わし、三位中将若子、つまり三法師へ音信している算用であるが、これには三位中将殿御乳人、信忠乳母であり三ノ丸殿生母慈徳院が三法師に連れ添って安土城に入城した事が確認される。そして御乳人女房衆という記述がみられるだけで三法師の母と目される人物は見られないところから、妙心寺から見ると音信するに足らない人物という事であろうか。
そして、濃姫の名も見受けられないことから三法師に付き添ってないことが分かる。

ちなみにこの三法師が安土城で住んでいた御殿は後に八幡城に移され、そして秀吉の姉の寄進で本國寺の本堂として移転されたという。
江戸時代中期火災で焼けてしまい現存していない。
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