渡辺大膳

渡辺大膳

織田信雄分限帳を見直して見ると、
一、八百十貫 大野村 渡辺大膳

この渡辺は、与九郎の二番目の妻の祖父であろうか。また、小が抜けているだけであろうか。
渡辺氏は信包の家臣だと思っていたが、元々信雄家臣であったということでしょうか。
この時点では、渡辺氏が大野を領し、佐治はその保護下であったのでしょうか。
こう理解してもよいかも知れない。
元々許嫁であったのが、信雄か秀吉の意向により、江が嫁してきた。そして離婚後、元鞘に収まった。
おっと、もしかしたら江とは、婚約だけで大野へ来なかったかも知れません。



いささか、小説的になったが(笑)
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~ Comment ~

No title

k2さんの情報量はすごいですね。
「大野村 渡辺大膳」はたまたま私も目にしていて、
「渡辺小大膳」はひょっとしてまちがいなのでは?と考えてもみました。
だから「渡辺小大膳」の文字が最初に書かれた原本を見て、「小」がどういう状態であるかどうか確認したいと思いました。
ただ、佐治に代わる大野の統治者は、佐治源五(織田長益)で、その名も書かれていたと思います。
大野城に代わる大草城の築城も開始しています。
大野村(別名湊村)とは大野の一部で他に西之口村とか大草村とか連なって書かれていたはずです。
渡辺氏はただの村長的レベルの身分かと。
織田信雄分限帳が書かれた1585年にはもう佐治はいません。
よって「渡辺氏が大野を領し、佐治はその保護下であった」という部分は申し訳ないですが、同意できません。
期間が短く、江は大野へ来なかったのでは?という可能性も、地元学芸員の人と議論したことがあります。
・佐治家の菩提寺「斉年寺縁起」に二人の婚姻は書かれている。
・与九郎が大野城主の身分を失ってからでは、この縁談は進むことはありえない。
よって期間は短くとも、お江は大野に嫁入りに来た。
という見解になりました。
しかし、小説的である点はごもっともです。

信雄分限帳

ヨクロー様
連投どうもです。
信雄分限帳の論考を読みこんではいませんが、確認したのは一宮市史の活字化されたものです。蓬左文庫のを確認しましたら、渡辺大膳の箇所は飛ばされたました。
 源五のは目録は別になってますので、詳細は分かりませんね。信雄分限帳が出来た理由は、南伊勢を秀吉に領有された領地替えの確認書のような理由もあるようなので、長久手前でも、源五が領有していたかどうか確認が取れませんいよね。

佐治と渡辺氏の関係ですが、与九郎が幼かったので、変後はともかく、父信方没後誰が、大野佐治の水軍というものを、統治していたのでしょうか?その一つの証左として、渡辺氏もありかなと思ったのですが、ばっさりきられましたね(笑)その、菩提寺の縁起も年紀が分かりませんが、江戸時代に入ってからでしょうから、実際本当に大野に来たか確認できるかどうか、疑問ではないでしょうか。といって、佐治と江の婚姻を否定するものでは無く、婚姻はあったと私は思っています。
 信雄の家族構成を調べた時に感じたのですが、父信長は、姪を自分の側室にしたりしていませんが、信雄は姪二人を側室にしています。(時期は一緒ではありませんが)それは祖父信秀に近く、一族間の婚姻を勧める一地方大名に成り下がった時期、つまり安土城退城した天正十一年五・六月以降に、姪を甥に娶したと考えています。
 また、これも小説的にはなりましたが(爆

No title

いつもお世話になっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%B8%8A%E8%97%A9
上記ウキぺで、渡辺大膳の名を見つけました。
勿論、同姓同名の別人という可能性もありますが、主君・前田茂勝は前田玄以の三男ですので、当然尾張にもいたはずです。
茂勝と一緒に尾張から丹波へ行った人物かも。
あくまで仮定ですが、
前田玄以と係わり合いがある大野村にいた渡辺大膳。
何か臭うような気がしませんか?

No title

こんばんは。
前田ですか。また、微妙なところをついてきましたね。断絶した家の家臣を調べるのは、難しいそうですね。
 何か引っかかってくればいいのですが。

信雄分限帳

蓬左文庫のを見ました。
天保8年のものですね。少々内容に不満です。
愛知県史の活字化されたものもみました。
それのほうがもう少し詳しく書かれてました。
そこには
「八百十貫 大野 渡部大膳」
大野村と大野(庄)では全く意味合いが違ってきます。
また、内海佐治なる者は残っていました。
天正13年の原本はどこにあるんでしょうか?


No title

信雄分限帳は何点かの写本があったように、思いますが、誰か論文があったと思いますが、見あたりません。
 渡辺大膳も止まったままですね。
与九郎が、信包の家臣を切って蟄居したという記録があるらしいと、ある方から聞きましたが。

No title

>与九郎が、信包の家臣を切って蟄居したという記録があるらしいと、ある方から聞きましたが。
そうですか。それはすごい情報ですね。
それは、いつ頃の話でしょうか?出典は?
与九郎がいつ武士から僧侶になったか足がかりにしたいです。
お教えて頂けませんでしょうか。
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