泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
雪姫
北畠具教の四女。織田信雄の正室。千代御前。
生年不詳、文禄3年7月6日没。
信雄分限帳によると、五百貫の知行を貰っているので、具教没後も、正室として尊重されていたのであろう。
1590年小田原役後、夫信雄が突然追放されてしまい、雪姫はどの様な処遇を受けたのか、史料の上からは分からない。
群書類従所収北畠系図によると、伊予道後にて没とある。
これは、信雄と再会し伊予まで同行したということであろうか?寛政譜の信雄の項に、石手寺に寓するとあるから、そこに墓があるのであろうか?
秀吉の養女、小姫は、この雪姫の子と言われている。夫追放後も秀吉は養女を廃除することなく、徳川の世嗣長丸(秀忠)と盛大な婚約式を聚楽第で挙行したという。しかしその小姫も、翌年没する。
雪姫は小姫の死を知ったかどうか分からないが、1594年7月6日没。
法名 天應妙性大禅定尼
コメント
この記事へのコメント
雪姫というHNを使用しているので、タイトルを見てびっくりしました。

雪姫といえば、信長公の養子にも雪姫という名の人が存在しましたよね?

2007/08/27(月) 22:50:25 | URL | 雪姫 #PEzb7U0I[ 編集]
雪姫殿
びっくりさせました(笑)
信雄の正室である、この雪姫様の墓所が不明なので
四国に行きたいのですが、なかなか、、、
養子の雪姫は、勝頼の室でしたっけ?

白井河原は流石、行ってらっしゃたんですね。
惟政の墓は、「惟正」となっていて信憑性は低そうです。
2007/08/30(木) 20:36:33 | URL | k2 #-[ 編集]
ky2様
北伊勢の国司ないし奉行職を巡っては、北畠氏と、世保(土岐)氏が長年に亘り争っていたと言うことを、ごくう様の掲示板で以前書きましたが、世保氏と親類であったと思われる小島氏を称した民部少輔が、北伊勢の奉行となったことは、私の長期的な研究テーマとなりそうです。

雪姫様
 ご返事痛み入ります。私の氏素性も明らかにせぬままと云うわけには参りませぬので、自己紹介仕りたく存知ます。
 管理人のky2様はよく御存知でおられるのですが、私のハンドルネーム長谷川无鉄は、父方の祖母の先祖に因んだものです。信長に強弓の腕を褒められたという人物です。この先祖の後裔には、長谷川安左衛門利次という信州坂木の代官もいまして、村上義清の墓を作ったりもしています。雪姫様の関心のある人物とのゆかりがあるわけです。さらに私の先祖には、母親の実家の先祖となる、小島日向守信房という人物もおりました。実は、管理人のky2様に以前、御教示頂いたのですが、今は故人となられた歴史家の滝喜義氏の書かれた記事には、この小島信房の父親を、織田信定としているものがあるのです。もしこの記述が正しいとすれば、信定の血を分けていますので、私と雪姫様は、三十数親ほど離れた親戚ということになります。
2007/08/31(金) 02:45:39 | URL | 長谷川彦右衛門入道无鐵 #oGQuTWFo[ 編集]
長谷川殿
久しぶりに元気な長谷川殿のコメント、嬉しく思います。小嶋民部の小嶋は、伊勢からですかね。
あの後、整理出来てないので、小嶋正春との関係とか整理して記事にしてみたいですね。
小嶋民部の父も含めて。
2007/09/01(土) 00:01:49 | URL | k2 #-[ 編集]
長谷川殿

すみません、かなり遅くなりましたが…小島信房という方が信定の子として存在するんですか?
もしそうだとすれば、長谷川殿も同じご先祖様の織田家一門の方ですね。
同じ一族の方と知り合えてとても嬉しく思います。
これからもよろしくお願い致します。

2007/09/10(月) 13:54:13 | URL | 雪姫 #PEzb7U0I[ 編集]
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