狩野邸

狩野邸

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河内氏の著書、「信長が見た戦国京都」読了しました。
信長が初めて上洛した時、何の目的だったかは分からないと論考されてます。
写真は、信長が立ち寄ったと云われる狩野邸址。岐阜?だったか小論で、嵯峨天竜寺の策彦周良に会うためというのも、読んだことはありましたが。ここでは、斉藤義龍の刺客はスルーでしたね。
 また、志賀の陣の見解はどうでしょう。これは否とみたい。
 読み下し文つきは、分かりやすく、読みやすい。また、上京のあまりなじみのない文書の、出典つき表などは今後活用できるもので、ありがたく思っているが。
 下京中出入帳も、是非表にしてほしかった。
殿様、政様他不明なものも、見受けられるので、河内氏の見解をみてみたかったが。

最後に、信長は光秀に殺されたというより、京都に殺されたといったほうがよいとは〆の言葉としては面白いですが。信長は、京に拠点を構えようとした記録例えば、吉田山に勝家を派遣したこともありますし、また、西ヶ谷氏の論考で、相国寺を寺と見なすのではなく、相国寺構えとして城郭としてみる向きもあります。
 それも含めて、何故本能寺を宿舎としたのかを、読みたかったです。
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遅ればせながら、ようやく読了しました。K2さんのコメントである程度は予測していましたが、「結論」はひどいものでした。「タイトル」の命名は仕方ないとしても、残念でした。

ハンク様
こんばんは。
読者受けするためでしょうかね。

京都の人が信長を殺した謀反人とはとらえていなかったことが分かる。
同じく、なんじゃそら?っていう論考がみれます。
落ち武者狩りで、大変な騒動になってるはずなのに、何故謀反人と、捉えていないか、理解に苦しみます。小屋がけも同様です。
ただ、次の支配者にこびてるだけだと思いますが。
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