証言 本能寺の変 史料で読む戦国史

証言 本能寺の変 史料で読む戦国史

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はじめにで、
これまでに、拙論に対するいくつかの批判に接した。そのなかには、信長政権を絶対視する予断によって、史料解釈が一面的なものが少なからずあった。とあります。
 そして、
なお、歴史を愛好する皆さんには、解説を通覧し、そのうえで一点でもよいから関係史料に接していただきたい。良質の史料を解読・解釈し、それをもとに立論するという、歴史学の方法を追い体験してほしい。
 と、述べられてます。

ここでも、秀吉神話同様小屋がけは・・・でしたね。

ここでは、初陣の年齢を。
秀次は、於次秀勝と同い年。
於次秀勝 天正十年(1582) 3月17日備前児島へ御具足初め。十五歳。
奇妙信忠 元亀三年(1572) 9月   近江浅井攻め 十五歳。
茶筅信雄 天正二年(1574) 7月   伊勢長島攻め 十七歳。
三七信孝 天正二年(1574) 7月   伊勢長島攻め 十七歳。

初見文書
奇妙信忠 元亀二年(1571) 6月11日崇福寺諸役免除 十四歳。
茶筅信雄 天正元年(1573)11月15日福島家跡職を北鍋次朗に継がせることを了承 十五歳。
於次秀勝 天正八年(1580) 3月   長浜八幡宮に奉加 十三歳。

三好孫七郎秀次 天正七年(1579)三田・兵庫城受け取り。十二歳。
恐るべし秀次。
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~ Comment ~

 残暑お見舞い申し上げます。すっかりご無沙汰いたしております。その後は如何お過ごしでしょうか。
 安田作兵衛の墓は行ったことがありませんが、これは京都ですか。森家で言うと森蘭丸を討ち取ったと言われているので興味はあるのですが、なかなかによう調べていません。
 ただ、後年、天野源右衛門と称し、立花宗茂に仕え朝鮮の役に参戦、後寺沢家に仕え唐津で死したとのこと。『立花朝鮮記』の著者として知られています。

南心様
残暑見舞いありがとうございます。
南心様こそ、お元気でしょうか。
ここは、佐賀唐津の浄泰寺です。
没日は六月二日らしいです。
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