駿河大納言

駿河大納言

IMG_6941縮小

高野山奥の院、最大の石塔は「江」の供養塔。施主は次男忠長。
ここも、まだスルーでした。来年はそんな事ないと思いますが。

今週末、安土で20年計画の発掘調査の集大成のシンポがあるようですが、行けません。
行かれた方の情報頂ければ。
また、岐阜では金箔瓦が出てきたのと、地下通路?が出てきたそうで現説があるようです。
どちらも行けません(泣 
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~ Comment ~

K2様
譜略の忠長卿の条には、秀忠、家光と共に上洛中、於江與危篤の報を受けての忠長の行動が、以下のように記されています。

○(寛永)三年丙寅八月
廿日(正しくは十九日か)叙従二位任權大納言 ○同年九月十二
日京發足同十五日江戸エ着御供不續小十
人両人鑓持一人以上四人ニ而着依崇源院
殿御病氣也(この日於江與逝去)

伝えられる忠長のこういう行動を見ると、後の不行跡が事実だったのか、疑問に思えてきます。 
私の故郷には、勝姫の夫で、海音寺潮五郎に日本史上最悪の暴君とされた、結城秀康嫡男忠直卿が、配流されていて、同行した愛妾お蘭の方に先立たれた際、自らの墓は逆修で造らせた比翼塚があります。実際にその前に立つと、とても伝えられるような悪逆非道の人物の墓とは思えない、愛情の感じられる比翼塚です。
この時期、江戸幕府の基礎固めのため、将軍の座を脅かしそうな人物の排除が、不行跡(それもおどろおどろしい)の名の元に行われ、駿河大納言忠長もその一人のように感じられてなりません。

忠長

武江様
一般的に知られていることしか、不勉強で存じませんが、織田信良の娘を娶ってますので、家光派より忠長派です(笑)
 
この織田の娘を娶るのは、江の肝煎りと云われてる?ので、実家であるところの織田家に対する思いが伝わります。
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