泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
安土城、焼失は二代目?
昨日の朝日新聞、衝撃が走りましたね。
詳細や、論争は桐野さんのブログを見て頂くとして、桐野さんも氷解とおっしゃっられてますように、行幸や、辞官といった問題もこれによって説明が付くように思いますが、今後の論争に期待しておりますが。

天主が違う場所に建ったのでは?
相撲興行の場所は?

桐野さんのブログを見て思ったのは、昔から安土山を登ってみて現在の天主閣跡が元々の山頂かどうかは疑問に思っていた。
北と南は、結構急な崖だが、西つまり黒金門の側に比べて、東の堀邸の側はなだらかであること。
本丸に隣接したと思われるから、場所を探れば伝三ノ丸、江雲寺殿辺りが妥当ではないかと。旧天主跡に、佐々木高頼の菩提寺の名を変えずに移転させたのも興味深く思うのだが。

相撲興行も、伝堀邸が後ろに築山もあり、ふさわしいいように思うのだが。また他の場所を探せば馬場平でしょうね。現在は立入禁止だが広さからいっても申し分ないように思う。
作事の人でごったがえしていたと、指摘されていた方がいらっしゃったがその場所なら問題はないのではと思った。
コメント
この記事へのコメント
安土城天主
こんばんは。

例の新聞記事の件、異論、批判が多いです(笑)。

まず考古学的にありえないかどうか。安土城天主の土盛り部分、礎石がない中央部分だけ発掘したことは知っておりますが、全部発掘してありましたっけ?
もし一部分だけの発掘なら、倒壊しているかどうかの結論はそう簡単に下せないのではないかと思っております。
また上部構造物(木材、瓦など)が崩れたとしても、再建する際にきれいに片づけられてしまうはずですから、まず痕跡が残りません。
つまり、考古学的には倒壊したかどうか、現段階では実証不能ではないかと思います。

あとは文献上の問題ですね。
K2さんも疑問を呈しておられるように、天守台の位置はどうなのか?
私は以前から、いわゆる江雲寺御殿といわれている曲輪が気になっております。これって、伝三の丸ですよね?
もしそうだとすると、本丸より高所にある三の丸なんて不自然です。しかも、天守台の高さとほぼ同じではないでしょうか?
江雲寺御殿には天主風の建造物は建っていなかったのかどうか。この御殿も天主とは呼ばれなかったのかどうか。
万が一ですが、こちらが第一次天主ということはないですよね?

安土城についてはうといもので、いろいろ教えていただければ有難いです。
2007/09/18(火) 01:55:05 | URL | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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