父の仇

父の仇

大河第2回感想。
心配してました、原作にあった信長からの書状。
織田弾正忠は出ませんでした。これは、監修の小和田先生が指摘されたのでしょうね。
昨日の講演で、田淵さんの話を聞くかぎり信長には好意的なようですし、その様に描かれてました。
冒頭の伊勢上野城ですが、こ、れも小和田説ですね。
私は、以前も指摘しましたが長野家への粛清のさなか、お市と三姉妹が上野へ行ったとはとても考えられません。
清須説もそうですが、ここにも三姉妹の伝承すら残ってないのも気になります。

同母と言われる信包は似てませんが(笑)
天正七年上野という設定ですが、信長の書状が九月三日となってます。(五月の見間違いでしょうか)
それで夏に安土へ向かったとありますから、かなり早くから書状を送ったことになりますが、まもなく天主が完成と市が言ってますから、やはり五月なのでしょうか。
 茶々が持つその書状、裏から透き通る天下布武の朱印が捺してあります。
これは公文書ということでしょうか。かなり異例で、お市を招待したことの証ですね。

そして安土城を傍観したシーン。西から見た角度でしょうか。総見寺画面右側にあるということでしょうか。
多分、はじめて天主を見た驚きは、あの比ではないでしょうが。安土城と言わずに、安土の城と言ったのは、良いですね。
 天主に案内した、森坊丸と力丸が登場しました。森家三代実録によれば、乱丸がこの年四月に出仕したことになるので、セーフですが(笑)下の弟達はどうでしょうか?どれもイケメンを揃えましたが。

つづく

追記
神戸録とその周辺という、鈴鹿市にある神戸家の菩提寺の住職が著書の本があります。
そこに出典が明示されてませんが、神戸城に三姉妹がいたという説があるそうです。
しかし著者も、それは否定されてますが。
ところで、福蔵寺の墓所に小さな信孝墓があるのを、最近知りましたが、この本を読み返すと写真をみるかぎり、介錯した、大塚俄左衛門墓のように見えますが。

つづく 
スポンサーサイト
Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  •  …この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
 

~ Comment ~

同感です

伊勢上野…可能性の一つであるはずなのに、それが定着してしまっている感が。
一応大河の中でも「とされている」とか「かもしれません」とか言葉を選ばれていましたが…
どこかに当時の書状のやりとりや、贈答や、注文などが出てこないものか期待しているのですが…

紀伊様
定着しそうですね。
津はゆかりあるところとして、盛り上がりを見せているようですね。
京都は、淀や三回目の輿入れの伏見、二回目の嫁ぎ先亀岡(亀山)や、聚楽第丹波少将屋敷推定地?など、何も耳に入ってきません。
  ※コメントの編集用
  シークレットコメントにする (管理者のみ表示)

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU anime_down3.gif

同じカテゴリの記事が一覧表示されます
同じタグの記事が一覧表示されます
更新月別の記事が一覧表示されます
キーワードで記事を検索