善光寺如来

善光寺如来

ファンタジーです。
善光寺如来を、甲斐から岐阜へ遷座したのは織田信長(信忠)。
それを祀ったのが、岐阜の伊奈波神社である。
 ここの由緒書きに、江の岐阜生まれ説が出てくる。
という事は、お市がここに参ってということになろうか。
つまり、茶々や初もお参りしたことがあるかも知れない。小谷落城後、伊勢上野城や清須城説があるが、岐阜生まれ、岐阜育ちかも知れないと考えている。
 ここではそれを言いたいのではなく、天正十年善光寺如来を茶々が見たかどうかという点である。

京都大仏殿が、始めに地震で崩壊した後、この善光寺如来が遷座してくる。
これは、資料によると秀吉の夢からのお告げらしい。そして死の一日前に、俄に長野へ戻された。
その遷座に関しては、資料は語らない。
秀吉の大仏開眼 河内将芳著 2008年11月
P122に、秀吉がこれ以前に善光寺如来にどのような信仰を寄せていたかは、夢の話以外に手かがりがないと論考され、信忠が美濃へ移したことなどが影響されてるのだろうと。
 そこで、茶々が岐阜で、この善光寺如来を見たかどうかがヒントを与えてくれるのではないか。
善光寺遷座の裏に、茶々の影が見え隠れするのは私だけでしょうが。


追記
伊奈波神社の地誌に出てくる、崇源院の侍女民部卿。
これは、織田信吉の娘でしょうか?系図纂要に、竹森某に嫁いだ後、天真院宮に仕えたとなってる民部卿と同一人物なんでしょうか。天真院は、江と秀勝との間に出来た長女なので、何かの繋がりがあったのでしょうか。
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民部卿局

民部卿、奇しくも私も気になっていたところです。
私が見たのは例の「雁金屋染物台帳」で、お督の注文のことごとくを民部卿局が取次していました。
そういえば茶々姫の祖母、阿古の乳母も民部卿局というのですが…これは関係ないですね。すみません。

善光寺といえば、慶長5年に茶々姫が秀頼の名で本堂を修築していますが、いくら有名な寺院とはいえ京坂が中心の寺社修築にこの善光寺が入っているのは、なにか思い入れがあったのでしょうか…

岐阜説、参考になります。

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はじめまして!

明石さんのブログより、お邪魔しました。
何だかどんどん謎が解けていくみたいで、面白いですね。
善光寺は、古代から珍しく女人をも救済してくださる、
宗派も問わない度量の広いお寺だったので、そこも関係するかもしれません(昔は女人立ち入り禁止のお寺が結構ありましたから)(^-^)
そして奇しくも、善光寺の阿弥陀様はあの方広寺にもおまつりされた事がありますから、
姫とはかなり縁があるのではないでしょうか(*_*)
  • #2131 しなちくにゃんこ 
  • URL 
  • 2011.01/21 18:28 
  •  ▲EntryTop 

紀伊様
民部卿、紀伊様なら何かご存じかなと思いましたが。
女性史の難しいところですね。

善光寺の修築もしているのですね。いい資料があればいいのですが。
決定的なものは、難しいかもしれませんが、類推できるようなものが他にあれば面白いのですが。

しなちくにゃんこ様
はじめまして、ようこそ。
女人をも、のくだりいいですね。大仏殿への遷座の時もたいそうな盛り上がりだったようですが。岐阜への遷座も、記録にはありませんが、おおよそ、想像がつきますね。
 ブログ拝見しました。偶然、同じ時期で驚きました。
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