寂光院 建礼門院像

寂光院 建礼門院像

IMG_6996貼付用

先日紀伊様から、ダイナゴン様情報で寂光院建礼門院像は、淀殿かもしれないとのことで。
一度写真を見てみようと。
 京都肖像彫刻という、大変お世話になったこの本には載ってなかった。
最近出た、淡光社から出た古寺巡礼 寂光院にカラーで掲載されていた。
再建された平成時代のものなので、何ともいえませんが。
この本を見ていて、あの「寂光院御再興 黄門秀頼卿 御母儀浅井備前守息女為二世安楽也」の解釈が、秀頼が母の現世と来世の安楽の為に建立したとあります。
 そうすれば、この建礼門院像を茶々に仮託させてというのが、なかなか興味深い。
この本の中で王朝の悲しみに彩られた尼寺と題して、日本文化研究会代表 坂井輝久氏の論考のある一節が気になりました。その扁額について「現世と来世の安楽のため」と淀殿は述べるが、おそらく改築は自発的な意志ではなく、徳川幕府の圧力によるものだったのだろう。
 日本の文化を研究する代表の方とは、思えない安易なものですね。
他には見られない、少し違和感があるのには気づかないとは残念です。

この本の最後に年表がついてます。しかし、抜け落ちています。
京羽二重巻四 寂光院によれば再興したのは平信長公
とあります。桃山時代まで衰退していったのは、事実であるようですが、堀新氏が指摘されているように、信長も平家物語を読んでいた可能性もあります。また、お鍋の方も白川氏に書写を依頼しています。
茶々と信長を結ぶ、珍しいもの。それが寂光院である。
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~ Comment ~

寂光院

「つづく」がめっちゃ気になっています(笑)

偶然同じ本をこの間寂光院で購入しました。
復元後の木像はとても端正な顔立ちですが、火事で焼失した復元前の木像が見てみたいですね。

あと、どうしても「秀頼が茶々姫のために~」という下りが気になります。
その解釈で行くと、「為」の場所が「為御母儀浅井備前守息女二世安楽也」になると思うのですが…直さないのでしょうか。
宝物殿に掲示してあった火災を伝える京都新聞は茶々姫が再興したとされていましたね。

それもそうですが、寂光院で秀頼の二百年忌法要をされていたことに私はものすごく驚きました。位牌もなかったのですが、どのように法要したのでしょう。秀頼の法要をしているのなら、むしろ茶々姫の法要をしていてもおかしくないのですが。いろいろ不思議です。

紀伊様
すみません、力尽きて寝てしまいました(笑)

なるほど

続き、ありがとうございました。すっきりしました(笑)

私も、寂光院の再興に関しては茶々姫の思いが偲ばれる貴重な事例であると思っています。「家康の圧力」という理解にこだわっていては、折角特に思い入れがあって再興されたであろうことが見落とされてしまい、残念ですね。
特にこの本は寂光院について書かれた代表的書籍のようですし…

あと、信長が寂光院を再興されているとは存じませんでした。茶々姫はひょっとしたらそれを知っていて、信長の遺志を継いで再興したという面があったのかもしれませんね。

紀伊様
おそまつ様でございました(笑)
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