城下町高槻のはじまり

城下町高槻のはじまり

信長・秀吉・家康の戦略 と題した 高槻市立しろあと歴史館の図録を買いに行きました。
日曜日までだったのですが、行けませんでした。
自分の中で確認したかった羽柴小吉秀勝書状2通掲載されています。
年次はともに天正十三年九月
高槻城主だった高山右近が、明石に転封した後に高槻城主になったのが小吉であったということ。
 この書状の問題は差し出し人が羽柴小吉「秀勝」となっていること。
お次秀勝が存命中に、秀勝と名乗っていること。
違和感があることは承知。この書状逆に本物なのでしょうか?と訝りたくなる。
そしてこの図録でも、この頃江と結婚説を採用されています。
九月に瀬田から高槻に転封してきた小吉が何故淀城で祝言を挙げたか疑問です。
高槻城ですればよかったと思うのですが、そのヒントは図録にありました。
金泊瓦が出土してるようですが、小吉時代という。
かなり短時間の高槻時代でありますが、築城中(改築)ではなかったかと思うのです。
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~ Comment ~

No title

初めてコメントさせていただきます。
歴史好きなので、k2様のブログは以前からずっと拝見させていただいていました。
自分も先日の休みに高槻市立しろあと歴史館に行って図録を購入しています。
ネットで見かけたのですが、「小吉秀勝は天正十三年九月に瀬田城城主になった」とあるのですが、図録の書状からすると同時期に高槻城主になってますね。これはあり得ることなのでしょうか……不思議です。

k2様が以前書かれた、岡田正人氏の「瀬田城主から高槻城主となった」という記載を確かめたかったのですが、どれに載っているのか不明で(あちこちに寄稿されておられる方ですから)分かりませんでした。
ご迷惑でなければ教えていただけないでしょうか。

k2様が寄稿された歴史読本は5月号ですか?Amazonで注文中で届くのを楽しみにしております。

No title

私も見に行けませんでした…
こちらを拝見してあわてて図録を取り寄せています。

小吉さん問題、気になります。
本当に小吉が於次の生前に秀勝を名乗っていたのなら、この頃の於次さんはどうなっていたのでしょうね…

No title

さくら様
はじめまして。以前からですか。
もっと早くコメント頂いてもよかったのですが(笑)
ご質問の岡田氏のは、浅井三姉妹の真実 新人物文庫
小和田哲男編 H22年11月発行です。
H12徳川葵三代 別冊歴史読本 将軍秀忠夫人小督
から加筆されたものです。
 読み直すと岡田さん、10月に瀬田城主と書いていらっしゃいますね(笑)てっきり瀬田から転封と思ってました。一柳文書(国立国会図書館蔵)が出典のようなので、これも確認したいと思いつつ・・です。
 書いていて、わけが分からなくなってきました。
同時期はおかしいですよね。そうするとあの文書・・

歴史読本は来週発売です。
それも感想いただければうれしいです。
 

小吉さん問題(笑)

紀伊様
やはり気になりますよね。
何かおかしいような。ひっかかりまよね。
於次の九月から十二月までの書状か禁制などあれば面白いのですが。

お次が改名?

お次が改名したのでしょうね。信澄は、信忠のお古の「信重」を名乗ったようなので、そういうこともあったのでしょうね。よく分かりませんが…。

No title

k2様、お返事ありがとうございました。
浅井三姉妹の真実ですね。書店で並んでいるのを見たのでチェックしてみます。
一柳文書と高槻市の書状、どちらが正しいのでしょうね。

ちょうどk2様と同時期に、しろあと歴史観に行ったので、嬉しくなってコメントした次第です。
なかなかコメントのタイミングがつかめなくて。
歴史読本も楽しみです。読みましたらまたコメントさせていただきます。

小吉さん問題

ハンク様
コメントどうもです。
信澄への信重名譲渡ですね。
養母の死没と推定しましたが(笑)これは何が契機となったのか、よく分かりませんね。
 小早川秀秋より前に、毛利家への養子入りの話があったとかでしょうか?
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