泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
出土瓦の刻印・線刻紋から見た安土城の瓦工人について
安土城郭調査研究所 研究紀要8号 木戸雅寿著

天主タヲレの記事に関連し、いわゆる私日記の主が誰から情報を得たのだろうか?と思った時、まず真っ先に頭に浮かんだのが、瓦職人ではなかったかと。

上記論文によれば、安土城から出土した刻印、線刻印の48種類という数は、かなりの瓦大工の棟梁がいたことになり、最低でも48を超える瓦工人集団(ひと集団5人としても、総勢240人は超える)の存在が考えられると、述べられている。
奈良衆が焼いたと言われるその瓦職人集団が、それだけいたということは、情報は一人からでは無く、複数の情報を得た可能性があるのではないでしょうか。

この論文で注目したいのは、安土の瓦を焼いたのは、藤原新右衛門尉宗次、藤原甚三郎家次ではと、人物特定されていることである。
その藤原宗次は弘治二年(1557年)生まれで、天正4年当時19歳であるが、その接点を見出せば面白いのだが。

最後に、瓦出土は天主を中心とする主郭部中心で、大手道、搦め手道の道沿いの塀門にも使われているようである。
コメント
この記事へのコメント
こんばんは。

貴殿の記事に関して想像が広がりました。
証拠はありませんが、信長家臣で鋳物大工であった、我が、長谷川彦右衛門も、恐らく安土城の宝鐸など鋳物製品を作っていたと思うのです。

天下普請に近い作事であればこそ、倒壊事件に感心のあった技術官僚も多くいた筈ですね。



2007/09/24(月) 03:13:01 | URL | 長谷川無鉄 #-[ 編集]
長谷川殿
こんばんは、職人も難しいですね。
長谷川殿の、ご見識も披露して頂ければ勉強になるのですが。
2007/09/25(火) 23:55:47 | URL | k2 #-[ 編集]
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