大徳寺所蔵の狩野永徳筆織田信長像について

大徳寺所蔵の狩野永徳筆織田信長像について

IMG_4273貼付用

學叢 第33号 山本英男著 京都国立博物館発行 平成23年5月
2000円しました。高っ(笑)該当部分コピーできるのは、まだまだ先になりそうだったので。

副題が、修理で得られた新知見を中心に
6日にニュースで流れた信長画像の論文。
ネットには、カラーで小袖の色が掲載されていたのに、これには白黒。
図版カラーは、修理後の表面のみはいただけない。見たいのは、裏のカラーなのに。

この論文は私には、タイムリーでした。
本年6月25日は、お鍋の方の四百回忌に当たり、まとめていた矢先だったので。
ニュースでは、お鍋の「お」の字も出てきませんでしたが・・・
 ネタばれになってしまうので、書きませんが山本氏が言う江左居住之信女、江東居住の信女は必ずしも、同一人物を指すかどうかは分からないと思うのです。
 山本氏は引用を書かれていませんが、茶道文化研究の注釈で、この二人をお鍋の方か?とされる論考はすでにあります。しかし、近江居住の信長室は他にも居たと思われる。 
 時代は下がりますが九州征伐時、三吉信秀母は近江から、大坂に駆けつけていますし。
また、居住を現在住んでいる印象を受けるが、秀吉のことを尾州居住と書いてあったりするので、近江出身と解釈することも、可能だと考えられる。それほど、禅語録の解釈は難しい。
 
子の出世で見てもお鍋の方の男子(信高・信吉)より、三吉信秀のほうが出世してます。
従四位下侍従で公家成してますし、聚楽第行幸にも供奉していて明らかに差はついています。
これを、母親の力の差と考えるのは無理があるでしょうか?

 

またまた、想像をふくらませれば謎の女性「養華院」の可能性も示唆できるし、於次御袋かもしれませんし。

 しかし論考にあるように、裏彩色は生前愛用していたのを、信長縁の女性が忠実に再現したのであれば、大発見ですよね。
 秀吉が描き直したのではなく、鍋がこれ(下地)を言ったのに、三吉母が「いやいや、上様はこちらのほうが、お好みでした」とか、信長縁の女性同士の争いがあったと考えたほうが楽しいではありませんか(笑)


写真は、お鍋さんの生家跡です。
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