泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
特別史跡安土城跡修理工事報告書
上記報告書は、昭和35年12月から、40年3月まで行われた修理報告書である。
現在、平成の二十年計画の発掘調査が行われているのは、進行形で周知されているが、昭和の始の天主台、本丸の発掘調査の間に、修理工事がなされていた事は、意外に知られていない。
江戸時代を通じて、安土城主郭部の石垣は崩壊と未成木と雑草の繁茂は激しく、外観は全く旧状を知り得ない状態であった。
この報告書白黒でありますが、写真が掲載されている。
例えば、伝二の丸下帯郭に弱冠の石段があるが、その横まで、つまり雑草と未成木の中に、石段がある状況で、これは信長廟に参詣する為のものと類推できる。その先に、信長の足跡と言われる仏足石が置かれているが、その上方の石垣も掲載されているが、その隅櫓は、左半分は崩壊していて、想像であるが、この仏足石は、その石垣内に組み込まれていたのかも知れない。
そして、天主台の下、本丸入り口の写真は衝撃で、人が二人並んで入る位しか道巾が無く、天主台上方にあったと思われる石垣、栗石等が雑草と共に崩落している。
安土城の石垣を見る時、安土時代か、昭和の工事のものなのか注意を要する。

天主タヲレの史料に関連して、報告書に昭和25年のジェーン台風の影響で、黒金門の石垣が、地崩れしたとあり、現在の石垣が昭和の石垣だと判明する。昭和25年に生まれていないので、どれ位の台風で倒壊するのか分からないが、八角平の入り口の左手、福富邸へ伸びる道は、崩壊が激しく、コンクリで固められているが、天主台は急斜面に造成された証明かなと考えている。
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