利休切腹

利休切腹

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大河感想。
結局切腹しなかったわけですが・・・

信雄の配流はなしでした。秀忠はそこを気にするべきですが。
江もいとこのことを、もっと心配してほしかったですね。

写真は大徳寺総見院に残る、佐々一義夫人通称では高浜殿といわれています(織田家雑録)
この前テレビ大阪の番組で、濃姫だと紹介された墓です(隣の間違いです)

秀忠の婚約者であった、小姫と同い年で天正12年生まれであった為、よく混同されます。
私も過去に堂々と間違ってしまったことがありました。
その時には、渡辺江美子さんの論考を知らず不勉強であったことを、深く悔いました。

 小姫は、正室であった北畠氏が母のようで、高浜殿は犬山殿の娘が母。つまり同年生まれの異母ということになります。これは徳川家譜集成でしたか?同じ間違いをしていますので注意。

来週のタイトルは「愛の嵐」ですか。
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~ Comment ~

佐々一義

いつも拝見しておりますが、今回はじめてコメントいたします。蔵之丞と申します。よろしくお願いします。

高浜殿の夫、佐々加賀守一義とは何者でしょうか?信雄の娘婿といいますから、佐々成政の一族なのでしょうか?

初登場にも関わらずいきなり質問すいません。

No title

蔵之丞様
はじめまして。
佐々加賀守は、京極氏の庶流で、京極高次の家臣です。
小浜を拝領した時、高浜城に入っているようなので、かなりの大身だと思います。
 高浜殿は、その年(1600)で数え17歳なので、年は離れていそうです。慶長十六年御家騒動で陸奥に流されています。慶長十四年五月三日没。
 佐々成政とは、無関係です。
写真の右側にある、丸い墓塔はその息子である、佐々九郎衛門の墓です。高浜殿(春昌院)と佐々共に法語に残っているので、本墓だと思われます。

犬山殿、高浜殿

初めての投稿です。k2様の泰巌宗安記を楽しみにしている東京在住の一信長ファンです。信長の姉犬山殿には大いに関心がありますが資料が少ないのでk2様のブログは過去のものも含めて大変貴重です。高浜殿は犬山殿の孫で、信雄の娘ということなのですね。犬山殿を信長の妹とする説が少なくないだけにk2様は姉としておられるのも気に入っております。歴史読本7月号の掲載記事も読ませていただきました。

No title

猫山殿様
はじめまして。
犬山殿は、大徳寺の資料では「女兄」と出てきます。
確かに、妹説もありますね。

歴史読本も読んでいただいたのですね。
たまに、どんな方が読んでいただいているのかと思ったりもしてましたので、うれしかったです。

No title

ご回答ありがとうございました。京極家の佐々一族だったのですね。佐々九郎左衛門光長の父でしたか・・・

NoTitle

佐々一義の津軽遠流の理由は分かりますか?
『大日本史料』十二編之九に、「熊谷主水が駿府へ訴え・・・・」というような記述がありますが、いったい何を訴えられたのかが知りたいと思います。
又、佐々加賀守一義の墓はどこにあるのか?

それより、佐々一義は何者なのか。苗字から考えると京極の縁者ということになりますが、松の丸殿の関係の若狭守護武田家の縁者との説もあるようです。実際はどいなのでしょうか?私は最初松の丸殿の実子かなと思ったこともあるのですが、行き詰っています。

NoTitle

山崎様
昔の記事のコメント頂きありがとうございます。
古い記憶を辿ると、墓はどこかわかりませんでした。

佐々のその時に調べた資料は、ファイルのどこかにあるかと思うのですが、上記コメントより詳しくは分からなかったように思います。また何かひっかかればコメントします。

思いおこせば、何故信雄の娘が嫁ぐことになったのも謎です。
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