犬山殿

犬山殿

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織田信長家臣団研究会 第19号(平成15年7月)に寄せた私の論考。

竜宝山大徳禅寺誌(1706)成立
大慈院の項に、信長公女兄安養院と出てくる。
これを長年疑問に思っていて、過去帳に犬山殿 信長殿姉とあるので、織田信清室であったと類推できる。
安養院殿松巌宗壽大禅定尼 慶長七年(1602)十一月五日没
と没年が判明したので、私なりにあれこれ推論しましたが、この論考で春昌院(佐々一義室)と小姫を同人と書いてしまっているので、書き直したい論考でもあります(笑)

隠れ本能寺話として、武林名誉録四に星合の室が、信長の首を大徳寺に守護したという?ほんかいなという話をご教示頂いたのを冒頭に持ってきました。その室が戒名は違うが、没年は合っているという解釈が難しいもの。


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~ Comment ~

No title

k2様
 信長の叔母といわれる女城主の里、岐阜県岩村を再訪し帰宅して久しぶりにk2様のブログを開いたら犬山殿のお墓が出ていました。昨年10月大徳寺総見院の特別公開の後、大慈院に回りk2様の数年前のブログを頼りに犬山殿のお墓を探し当ててカメラに収めた写真と同じでしたのですっかり嬉しくなりました。
 犬山殿は生没不詳とされている中、慶長7年まで生きていたと知ってからは、大河ドラマ・江を見る際にも犬山殿はどこでどうしていたのだろうとあれこれ想像します。

No title

猫山殿
こんばんは。
ブログ見て墓参して頂けた方がいたなんて、感激です。

大河での天正十九年頃なら、私は京へ来ていたかと思っていますが、公家の日記などからは何も出てきませんのので、何ともいえないのですが。

掃苔

k2様
 ほぼ一年ぶりに犬山殿のお墓を目にして、その佇まいに正直少しうろたえてしまいました。小ぶりな墓であることは承知していましたが、ここまでこじんまりしていたとは・・・しかも繁みが覆い被さらんとしている有様でした。ナンと信長公の姉君の墓が(笑)、どこか釈然としない思いで手を合わせ、終いには墓石に被さる草木をのけてカメラに収めました。

 東京に戻って、昨年撮った写真やk2様撮影(?)の写真と比べてみて分かりました。今年は五輪塔の上の部分がのけられていたのです。それでいっそう小さく、どこか貧弱で不細工に映ったのですね。それにしてもその上の部分はどこに行ったのでしょうか。側の草むらに転がっていたのでしょうか。その場で気付きもしなかった私はまだまだダメだなと改めて実感させられます。

 なお、立花宗茂のお墓は大きな亀の台座に勇壮に載っていました。

No title

猫山殿様
犬山殿の墓石ですが、私も最近掃苔したときはそんなことなかったのですが。
 草は確かに、おおい被さってますね。
立花墓も分かって頂いたようですね。
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