御客人?

御客人?

大河感想
今回のツボは、明智玉がやってきた際の侍女の言葉。
「お客人です」。
すごいな、北政所が侍女の御客人を送ってくるなんてと思ったら(笑)
普通に細川様が来られましたでいいのでは・・・
喪に服している割に、衣装がピンクや赤でいいのでしょうかとそこだけが引っかかりました。

ドラマでは文禄元年の末から、文禄二年末ぐらいでしょうか。
文禄二年八月三日秀頼誕生。十月一日拾(秀頼)と秀次の女との縁組み(駒井日記)
小吉死後、ドラマでは大坂城と聚楽第を二回往復してました。
江が一次資料に現れるのは、文禄三年二月三日条駒井日記に連名で現れる。
岐阜宰相様 御内様
岐阜中納言 御内様
 小吉死後も、江は岐阜宰相(小吉秀勝)の御台と認識されていたことが分かる。
そして岐阜中納言(織田秀信)御台である完子とふたりが大坂城に居たことが確認できる。
これは駒井日記からの引用ですが、活字になっており岐阜宰相を織田秀雄となっています。
信雄の長男?かと思いましたがお次秀勝(雄)との混同なんでしょうね。

ですから、この時期大坂城に居たことは間違いなさそう。
やっと史実に近くなってきました。

 小吉死後、遺領である岐阜は、信長の嫡孫三法師秀信が入ることになります。
小吉の遺児完子と娶せたことになるのですが、その辺りは予想どおりスルーでした。
(まだ完子が幼いので否定的な意見があるようですが)

羽柴秀保
秀長没後、大和を領するのは秀次、秀勝の弟で江の義理の弟。
今回は全く出てきませんが、この秀保があけて文禄四年四月十六日。
この秀保が存命であったなら、秀次の追放、切腹もうまく運ばなかったといわれています。
浅井三姉妹に、羽柴三兄弟とのやりとりも面白かったのでは?

千は伏見生まれ
来週はもう秀忠への縁組話が出てくるようですが。
慶長元年(1596)七月十三日に有名な伏見大地震が起きます。
今年は大きな震災があっただけに、触れられるかどうか分かりませんが、その前々日七月十一日に秀吉は秀忠の伏見屋敷に赴いているようです(言経卿記)
江もここに居たことでしょうから、採用されるのでしょうか。
地震前ながら、家康とは別邸を持っていたと指摘できる。



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