孝蔵主登場

孝蔵主登場

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大河感想。
秀忠、江夫妻はおいといて、今回は高次、初夫妻が主役。
もう、まんじゅう好きだった面影はありません。
大津籠城も、ところどころつっこみどころはありましたが。

問題関心のひとつ、小倉お鍋はこの時どこに居たか。
お鍋の方は、北政所の侍女とかいわれてますが、後年孫二人が京極家へ仕えているところから(系図纂要)北方女房衆の北方は、松之丸殿のことでしょう。
 秀吉没後、いつまで松之丸殿(京極龍子)に仕えたかよく分からない。
関ヶ原の戦いで息子である信吉が、西軍に属した為連座し、京で没(小倉婦人記)


居所集成の、孝蔵主を見てみると小倉鍋の侍女か?とあるが、それは資料不足で分からない。
 ただ本姓である川副姓には、ひっかかる。
織田信吉が家老川副四郎兵衛の奥さんを横恋慕した逸話。真意はさておき、父は蒲生氏に仕えたと寛政譜にあるが、藤田氏は小倉とも関係を臭わせていた。そうすると、安土城に出仕していた可能性も出てくるか。
 また、居所集成に見て気になるのが、京と駿府・江戸への下向を繰り返していた孝蔵主が、お鍋の方が亡くなった慶長17年の翌年から再び京の土を踏むことがなかったのは、この二人が何か関係がなかったとは思えない。
大津城に派遣された経緯は、この時代に不得手なのでよく分かりませんが。




写真は京都報恩寺に残る、孝蔵主の墓。供養塔というべきものか。
面には寶光院仁寂周孝首座大姉 とあり。
側面右に寶譽宗珠大姉 左に渓山宗峯大居士 とある。
元和七辛酉暦七月三日 とあり父母の戒名であろうか。年月日は年忌供養かどうか分からない。
山科明應庵墓があったようだが、それがどこか分からない。
本墓は東京らしいが。
 ここ報恩寺には、孝蔵主が寄進した橋の擬宝珠が残されている。年紀は慶長七年(1602)
松の丸殿が閑居した西洞院屋敷にも近く、お鍋の方もこの辺りに住んでいたかも知れない。

大河感想というより、お鍋の方考になってしまった。
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No title

孝蔵主には兄弟などはいたのでしょうか?

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寛政譜をご覧下さい。
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