泰巖宗安記
信長ファンの独り言。
巖松山東龍寺来迎院
尾張名所図絵

前略
永禄年中、信長公四十貫文の田地を寄付ありて、また制札をも賜ふ。
さて、光秀この公を弑せし時、神祖泉州堺にましましが、微行して勢州を経、当村に至り給ひ、当寺に三日まで御淹留あらせられしに、信長公の制札を御覧あそばされ、御涙数行に及ばせられし由。後略

この逸話、家康が果たしてこの寺院に、立ち寄ったかどうか、分からないが、大河ドラマの一シーンに採用して頂きたい程のシーンではないか。
S58年徳川家康では、白子?からの船上で合掌してその回は、終わっていたが、上陸してからのシーンは案外に無い。
神君伊賀越えと言われる、この家康の危機だが、船の上でもまだ安心出来ないと思うのだが。

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