息子よ

息子よ

とうとう大河も来週で最終回を迎えます。
関西では選挙の関係で、三十分前倒しで放送されるようです。
思い起こせば去年、龍馬暗殺シーンでまさかの選挙当確テロップ。
今年はそのことがないような配慮でしょうか。

今回は父家康と子秀忠との和解があって、江と竹千代の和解があるという今までにない大河でした。
史実かどうかは兎も角、江が駿府へ来たかどうかも兎も角、秀忠の後ろに江の影がチラチラ見えたのが、安土総見寺に残る記録でした。
 歴史読本で触れましたが、カットしたのが年忌供養リストでして
歴代将軍(秀忠を含む)は一汁壱菜のところ、崇源院(江)は一汁二菜と差が見られるところです。
江の資料が、少ないなか実際のところ、秀忠の後ろに控える江の姿は案外ドラマどおり、しゃしゃり出てくる人物だったかもしれません。
スポンサーサイト
Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  •  …この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
 

~ Comment ~

我善坊谷

k2様
亡くなる二日前に、守り刀で罪人を試し切りさせた血生臭い話が無かったのは兎も角、診立て違いか、起き上がる事を許した医師(曲直瀬道三?)の立場は兎も角(笑)、「ドラマですから」と許せる範囲で、流石は北大路家康という死に様でした。一話完結のドラマで前後のつながりを考えずに済むなら、及第点だったでしょう。
江の荼毘が執り行われたという我善坊谷(「御府内備考」に龕前坊谷)に、初めて足を運んできました。今もそのまま、まさに谷といった形状を残していますが、谷底と言っても、増上寺の裏の台地を上った辺りに在り、中腹の谷といった感じです。荼毘の際一緒に焚いた香が、江戸中に香ったと言いますが、あの地形では、煙が留まったのでは、と無粋な事を考えてしまいました。
荼毘所は、六本木だったとする説もあるようで、最後に至るまで、はっきりした史料が残って無い御方ですね。

一話完結

武江様
そうそう(笑) 一話完結なら納得します。
荼毘ですが、前田に嫁いだ娘の荼毘所なら聞いたことがありますが、そんなものも残っているのですね。
 江の資料が少ないのは、結局春日局の仕業なんですかねえ・・
 市の手紙ですが、結局釈文がないのでよく分かりませんが、左京亮宛てなら五徳周辺で、思い当たる人物がいますが後藤なら、やはり別人かなと。
 左京亮宛て文書を、後藤氏が手にいれたなら辻褄はあうのですが、何ともよく分かりません。 
  ※コメントの編集用
  シークレットコメントにする (管理者のみ表示)

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU anime_down3.gif

同じカテゴリの記事が一覧表示されます
同じタグの記事が一覧表示されます
更新月別の記事が一覧表示されます
キーワードで記事を検索