歴史読本 6月号

歴史読本 6月号

特集 信長・秀吉・家康の城 2012年6月号を買った。
最新の情報が入っていることも踏まえ、特に小牧城は佐久間が入った墨入り石の論考があったので、興味を惹いた。
信長の城
「城」の概念を一変させた、覇王信長の象徴では、安土城について。
天正10年6月以降の景観として、伝羽柴秀吉邸を指摘され、写真付きで埋没石垣が掲載されている。
当時は信長以前のものが、出てきたので埋め戻したと聞いてましたが、信長後と解されているようです。
この論考で、主要部の石垣の隅が残っていると述べられているが、果たしてそうでしょうか。
天主台の石垣は、天端が分からないほどないと思われるし、伝二の丸にしても、昭和の修理によって相当改変を受けているのは、修理報告書の掲載写真を見れば一目瞭然。
 A氏がそれ以外にも、相当手を入れているようなのですが。
天正10年6月以降でも、状況は変わっていっていると思われる。
高島市山本文書から信孝の屋敷用の材木云々というのもスルーですし、信雄が秀吉の年賀を受けたという資料もあるので、伝秀吉邸が三法師なら、信雄はどこに居たというのかという問題もあるのではないでしょうか。信孝のを信雄にという手もあるが。

 私は貞享古図の伝秋田城介邸跡が三法師が居た場所だと。三法師は城介息と言われていたという資料もあるので、その伝承が残ったと思われます。その建物は後に八幡城へ移され、後に本國寺へと渡っていき、秀信邸の伝承が残っていることからも、そうだと思うのですが。
 それを示す様に、信忠邸跡は石垣はもちろん発掘調査によると痕跡が全く検出できなかったという。
こちらのほうが、分がありそうですが。
 
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