今年の3月朽木へ行った際、隠れ岩へ行けなかった。
今年も、後三ヶ月を過ぎてしまい、今年中に何とか、、、と言う事で。
登山の前に、火天の城のセットが高島市安曇川町にあると新聞記事にあったので、
探しにいきましたら、砕石場とあったので、一発で見付けました(笑
途中田中城の看板も見付けましたが、スルーで(笑
逆くの字の奥にセットが組まれてまして、分かり安く言うと、あずみの最後のシーンに登場する町の規模でした。
近よっていくにしたがって、五葉木瓜の旗をしょった武者が見えるではりませんか。残念ながら黄色ではなく、赤と白でしたが。
永楽銭の幟も黄色ではなく、白。
少し見学。何回かのリハーサルの後、撮影されてました。
初めて、マジかに映画の撮影を見る事ができました。
関係者の後ろで、聞き耳たててましたら、このセットの撮影、今日で終わりだそうです。
そして岡部を演じる西田敏行さんは見れませんでした。
山本太郎さん?が来られてると聞こえたのですが、見当たりませんでした(笑
淡路島に安土城のセットと言うのは、天主なのでしょうか?分かりませんが、行くかどうかは未定。
今年も、後三ヶ月を過ぎてしまい、今年中に何とか、、、と言う事で。
登山の前に、火天の城のセットが高島市安曇川町にあると新聞記事にあったので、
探しにいきましたら、砕石場とあったので、一発で見付けました(笑
途中田中城の看板も見付けましたが、スルーで(笑
逆くの字の奥にセットが組まれてまして、分かり安く言うと、あずみの最後のシーンに登場する町の規模でした。
近よっていくにしたがって、五葉木瓜の旗をしょった武者が見えるではりませんか。残念ながら黄色ではなく、赤と白でしたが。
永楽銭の幟も黄色ではなく、白。
少し見学。何回かのリハーサルの後、撮影されてました。
初めて、マジかに映画の撮影を見る事ができました。
関係者の後ろで、聞き耳たててましたら、このセットの撮影、今日で終わりだそうです。
そして岡部を演じる西田敏行さんは見れませんでした。
山本太郎さん?が来られてると聞こえたのですが、見当たりませんでした(笑
淡路島に安土城のセットと言うのは、天主なのでしょうか?分かりませんが、行くかどうかは未定。
10月11日に現地説明会があるようです。
行けない。急ですよね。記者発表で、奥の建物跡はやはり茶室のようですね。
もう一回、行きたいものです。
行けない。急ですよね。記者発表で、奥の建物跡はやはり茶室のようですね。
もう一回、行きたいものです。
特別史跡安土城跡発掘調査報告12 主格中心部天主台・本丸・本丸取付台・伝名坂邸跡の調査
H14年3月 (本文編)
もう6年前になりますが、天主台の下に蛇石があるのかどうか?
レーダー探査にての報告書。
結局、蛇石は無かったとの結論。この論考を読み直すと、面白いデスヨね。
城と民家 城戸久著 S47年6月
大変古い安土城の論考。横山氏が学生と出てくるくらいですから。
この論考にも、おおっと! 思わせるものが出てくる。
今日まで、みやこメッセで時代祭りの織田公上洛行列の衣装展示をしていたようで。
京都に生まれましたが、一度も見た事がありません(笑
信長の鎧兜は、オオソドックスな兜。
南蛮兜ではないのが、時代を思わせる(笑
現在なら、やはり南蛮兜にマントなんですがムリでしょうけど、、
某所で、津田某氏所用の竜の前飾りが付いたものを拝見しました。
これを拝見した時テンションが上がりましたが、信長の物と云われても不思議では無いような物でした。
それは、中村錦之助の風雲児織田信長で着用した竜の前飾りを思い出したからです。
これには後日談があって、柏原町へ行った際、柏原藩主織田家伝来資料名品展の冊子の中に、
伝織田信長所用兜立物があるではありませんか。
本品は、黒漆塗りの全身像は数少ないという。
H14年3月 (本文編)
もう6年前になりますが、天主台の下に蛇石があるのかどうか?
レーダー探査にての報告書。
結局、蛇石は無かったとの結論。この論考を読み直すと、面白いデスヨね。
城と民家 城戸久著 S47年6月
大変古い安土城の論考。横山氏が学生と出てくるくらいですから。
この論考にも、おおっと! 思わせるものが出てくる。
今日まで、みやこメッセで時代祭りの織田公上洛行列の衣装展示をしていたようで。
京都に生まれましたが、一度も見た事がありません(笑
信長の鎧兜は、オオソドックスな兜。
南蛮兜ではないのが、時代を思わせる(笑
現在なら、やはり南蛮兜にマントなんですがムリでしょうけど、、
某所で、津田某氏所用の竜の前飾りが付いたものを拝見しました。
これを拝見した時テンションが上がりましたが、信長の物と云われても不思議では無いような物でした。
それは、中村錦之助の風雲児織田信長で着用した竜の前飾りを思い出したからです。
これには後日談があって、柏原町へ行った際、柏原藩主織田家伝来資料名品展の冊子の中に、
伝織田信長所用兜立物があるではありませんか。
本品は、黒漆塗りの全身像は数少ないという。
全国の濃姫ファンの皆様、「郷土文化208」に、帰蝶の墓について 山田寂雀著
という、論考があるようです。早く読みたいものです。
織田信長の美濃侵攻、統一と足利義秋の上洛 加藤彰彦著 駒沢史学69
織田信長茶会の再検討 犬山徹也著 「上越社会研究」 22
織田信長関係イエズス会書翰研究序説 織田信長初見史料、1568年10月4日付ルイスフロイス
書翰の考察 松本和也著「 研究キリシタン学」 H19年12月
以上 3点信長の論文が出ているのを抜粋しました。手に入れるの難しそう。
津本陽氏と井伊達夫氏との対談本を少し拝読。
信長の項は少しだけですが、津本氏はここでは、抜け穴説は否定し黒幕は長谷川と堀が怪しいと
述べていらっしゃいます。意外でしたが、井伊氏は聞き流していらっしゃるようでした。
井伊美術館は、前名中村甲刀修史館が出来た際、拝観させて頂きました。
この本にも載ってました、信長の兜(西洋風)とか、有楽斎へ与えた兜、軍配など見させて頂きました。
その後、歴史街道にも取り上げられた、塙直政へ与えた甲冑でも話題になりました。
一度見てみたいと思いながら、、。
先に記事にしました伏屋城。
織豊興亡史再読。ここも、伝承なので決め手はなさそう。
武功夜話異聞の著者の事が、ここでも取り上げられていた。
信長と征夷大将軍 奥野高広著 国学院雑誌 第83巻第3号通巻899号 S57年3月
源頼朝の任官との比較は、興味深かった。
また、よく聞く右近衛大将で幕府が開けるまた、義昭の征夷大将軍と同等などを読み比べるには、
もって来いの論考。古い論文ですが。
後北条氏の縁辺の件、疑問に思われてるようですが、取次ぎした瀧川からこの女こそ、後の三の丸殿ではないかと、個人的には感じてる。生年から類推するに。
光秀の子孫が伝える 美濃、明智古戦史 明智光秀正傳 荒深弥左エ門著 S49年11月26日
上記、大変なネタになるコピーを頂きました。
前略 本能寺は爆発物によって吹っ飛ばされたらしい。青い目の修道士達の見た信長と家康の間は通史が伝えるような好ましいものではなかったようだ。中略
信長に狙われた家康は丹波亀山城に在城していた斉藤内蔵介に本能寺襲撃を依頼したという。
狙われる前に狙えというわけである。斉藤道三の娘奇蝶がこれに加担した。
・・・・・絶句
という、論考があるようです。早く読みたいものです。
織田信長の美濃侵攻、統一と足利義秋の上洛 加藤彰彦著 駒沢史学69
織田信長茶会の再検討 犬山徹也著 「上越社会研究」 22
織田信長関係イエズス会書翰研究序説 織田信長初見史料、1568年10月4日付ルイスフロイス
書翰の考察 松本和也著「 研究キリシタン学」 H19年12月
以上 3点信長の論文が出ているのを抜粋しました。手に入れるの難しそう。
津本陽氏と井伊達夫氏との対談本を少し拝読。
信長の項は少しだけですが、津本氏はここでは、抜け穴説は否定し黒幕は長谷川と堀が怪しいと
述べていらっしゃいます。意外でしたが、井伊氏は聞き流していらっしゃるようでした。
井伊美術館は、前名中村甲刀修史館が出来た際、拝観させて頂きました。
この本にも載ってました、信長の兜(西洋風)とか、有楽斎へ与えた兜、軍配など見させて頂きました。
その後、歴史街道にも取り上げられた、塙直政へ与えた甲冑でも話題になりました。
一度見てみたいと思いながら、、。
先に記事にしました伏屋城。
織豊興亡史再読。ここも、伝承なので決め手はなさそう。
武功夜話異聞の著者の事が、ここでも取り上げられていた。
信長と征夷大将軍 奥野高広著 国学院雑誌 第83巻第3号通巻899号 S57年3月
源頼朝の任官との比較は、興味深かった。
また、よく聞く右近衛大将で幕府が開けるまた、義昭の征夷大将軍と同等などを読み比べるには、
もって来いの論考。古い論文ですが。
後北条氏の縁辺の件、疑問に思われてるようですが、取次ぎした瀧川からこの女こそ、後の三の丸殿ではないかと、個人的には感じてる。生年から類推するに。
光秀の子孫が伝える 美濃、明智古戦史 明智光秀正傳 荒深弥左エ門著 S49年11月26日
上記、大変なネタになるコピーを頂きました。
前略 本能寺は爆発物によって吹っ飛ばされたらしい。青い目の修道士達の見た信長と家康の間は通史が伝えるような好ましいものではなかったようだ。中略
信長に狙われた家康は丹波亀山城に在城していた斉藤内蔵介に本能寺襲撃を依頼したという。
狙われる前に狙えというわけである。斉藤道三の娘奇蝶がこれに加担した。
・・・・・絶句
今日、年末にテレビの特番であった、旧本能寺の堀が見つかった場所。
英語の教室が建ってました。もう、あの辺りは、発掘は無いのでしょうか。
去年は盛り上がったのに、途端に寂しくなりました。
今日、大徳寺大慈院の上記、信長姉犬山殿の墓をお参りしようと墓地へ行きましたが、
はじめ見当たりませんでした。
墓とは言いましても、台座の部分、戒名の書かれてる部分が、棄てられてるのを、六年前に犬山殿を調べる時に訪れた際、他に棄てられてる丸の部分を乗せて、形だけでもぶさいくではありますが形にしました。
その後、一度も墓参してなかったので気になってましたら、無いのです台座が。
整理されたかと、思いながら帰ろうと門の前をふと見ると、小さな五輪の塔が。
何と、他の石を下から組み合わせてチャンと、五輪の塔として形を成してるではありませんか。
すばらしい。久しぶりに感動しました。
ただ、看板や立て札が無いので、これが信長の姉の墓だとは誰も気が付かないのが、、、
英語の教室が建ってました。もう、あの辺りは、発掘は無いのでしょうか。
去年は盛り上がったのに、途端に寂しくなりました。
今日、大徳寺大慈院の上記、信長姉犬山殿の墓をお参りしようと墓地へ行きましたが、
はじめ見当たりませんでした。
墓とは言いましても、台座の部分、戒名の書かれてる部分が、棄てられてるのを、六年前に犬山殿を調べる時に訪れた際、他に棄てられてる丸の部分を乗せて、形だけでもぶさいくではありますが形にしました。
その後、一度も墓参してなかったので気になってましたら、無いのです台座が。
整理されたかと、思いながら帰ろうと門の前をふと見ると、小さな五輪の塔が。
何と、他の石を下から組み合わせてチャンと、五輪の塔として形を成してるではありませんか。
すばらしい。久しぶりに感動しました。
ただ、看板や立て札が無いので、これが信長の姉の墓だとは誰も気が付かないのが、、、



